2020/05/10 13:17
今回はアーティスト、写真家でもあるEd Templeton(エド・テンプルトン)が創業したスケートボードのデッキブランド、Toy Machineを紹介致します。
Toy Machineとは?
Toy Machine Skateboardsは1993年にエド・テンプルトンによって設立されました。
創業以来、アーティスト、写真家でもあるEdはToy Machineのクリエイティビティの源であり、ブランドにアートとユーモアをもたらしました。
1993年の発足以来、Toy Machineはスケートボードコミュニティに不可欠なブランドとしての地位を確立しており、熱狂的なファンも獲得しています。
それはスケートボード界のレジェンドの一人エド・テンプルトンの原動力のおかげです。
彼のアートへの関心と彼自身の芸術的才能から、テンプルトンがトイマシーンのすべてのデッキグラフィックを創り出しています。
悪魔のようなロゴは人気が高く独自の芸術的なデザインは注目です!
Toy Machineの創業秘話
Toy Machine はエドテンプルトンの最初のプロデュースではありません。
彼は以前にブランド "TV"をMike Vallely(マイク・バレリー)と共同でプロデュースし、後に "Television"に改名しました。テンプルトンは、バレリーとの給料のトラブルで、1993年に彼自身のプロジェクトに取り組むことを決意しました。
しかし、彼の会社の名前を選ぶ際、2つの案「Toy Skateboards」と「Machine Skateboards」という名前どちらか決めきれずにいた頃、友人であるプロスケーターのEthan Fowlerは、両方のアイデアを単純に組み合わせるよう提案し Toy Machine となりました。
Toy Machineはどうやって有名になったのか?
当初、エドテンプルトンは、ハンティントンビーチスケートパークの友人や地元の人々にしかシェアはなかった。
しかし、ジェイミー・トーマスがチームに加わったことで、チームのレベルは劇的に飛躍しトーマスの活躍によって、90年代の代表的なスケートビデオの1つである「Welcome to Hell」がリリースされました。
ブライアンアンダーソン、ジェイミートーマス、エドテンプルトンなどがこのクラシックでスピーディーで身を削るハードな滑りを披露し、現在のハンドレールやギャップスケートへの道を開きました。
Chad Muska と Toy Machine
Chad Muska(チャド・ムスカ)とは過激な滑りで各地のファンを沸かせる天才スケーターであり、更に今やハイブランドのSUPRAのデザイナーでもあるスケーターです。
当時チームのライダーであったチャドムスカの秘話。
コンピュータの故障によりプレミア(ビデオの試写会)がキャンセルになってしまった際、ムスカはそれに対し激怒。エド・テンプルトンは彼を直接チームから追い出した。結局、数年後に公開されたときに彼のビデオの一部は削除されてしまいました。
チャドムスカと90年代のスケート界の荒涼とした時代は終わったかもしれませんが、現在のトイマシーンチームのスケートも実力者揃いです。ハードなスケートスタイルは今も健在です。
所属ライダー
レオロメロ、コリンプロボスト、ジョシュハーモニー、ダニエルルターラン、エドテンプルトン、マットベネット、ビリーマークス、ジェレミーリーブレスなど。
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